今回は、客車・夜行列車をテーマに、牽引する機関車なども含めた関連商品を集めました。夜行列車の歴史や、変わった客車を紹介します。 夜行列車の歴史日本の夜行列車は、1889年に東海道線新橋〜神戸間が全通した際に全線を約20時間かけて運行されたのが最初でした。寝台車は1900年4月に私鉄の山陽鉄道(現・山陽本線)、10月に官設鉄道に登場しました。 昭和初期は簡単に言えば、3等寝台車は3段、2等寝台車は2段の寝台(ベッド)。1等寝台車は洗面台付きの4人用または2人用の区分室を複数備えていました。 写真は「鉄道用語辞典」(1935年)より、3等寝台車の外観と車内です。 1929年、東京〜下関間の特急が「富士」「桜」と命名され、特急初の愛称・テールマークが使用開始となりました(特急のヘッドマーク使用は1950年以降)。
写真は日本国有鉄道「中国支社30年史」(戦前の「桜」)、「鉄道」1935年10月号(「富士」を牽いた事もあるC53形流線形)より。
1956年11月、東海道本線全線電化を機に2・3等寝台車を連結する特急「あさかぜ」(東京〜博多間)が新設。当初は10系など茶色の客車で、1958年10月から青い20系客車での運行となります。20系は今から見れば狭い寝台ですが、電源車を連結し全車冷暖房完備、窓は固定窓、台車は空気バネで「走るホテル」と呼ばれた革命的な客車でした。特急から引退後も日豊本線の夜行急行「かいもん」などに使用されました。 1957年10月改正で命名された東京〜大阪間急行「彗星」は、国鉄初の寝台専用列車です。「銀河」や「あさかぜ」で連結されていた座席車は、節約したい人、寝るまでもない短い区間で利用したい人に需要がありました。「彗星」は1964年まで運行後、1968年から新大阪〜宮崎間の寝台特急の愛称として復活します(末期は京都〜南宮崎間、2005年廃止)。 1970年代に登場した14系・24系寝台客車は、20系と同じ青い車体です。これらの客車を用いた寝台特急は、いつしか「ブルートレイン」と呼ばれるようになりました。 国鉄がJRになった翌年、1988年3月に青函トンネル開通により上野〜札幌間で「北斗星」が運行開始、ブルトレが北海道に進出します。同年4月、瀬戸大橋線開通で東京〜宇野間の「瀬戸」が高松まで延長。1991年に大阪〜札幌間で、異例の緑色の車体の「トワイライトエクスプレス」が運行開始。「北斗星」とともに、豪華寝台特急として注目を浴びました。 90年代以降、新幹線、航空機、夜行高速バスの台頭などにより寝台特急は食堂車の廃止、列車の減少といった衰退が続きます。2015年の「北斗星」「トワイライトエクスプレス」、翌年の「カシオペア」定期運行終了で、客車による定期寝台特急列車は全廃となりました。 現在は定期寝台特急としてはJR285系電車の「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」だけが残り、手軽に乗る事ができます。不定期運行の長距離夜行では、JR西日本が2021年から117系電車を改造した「WEST EXPRESS 銀河」の運行を開始しました。 変わった客車郵便車駅で積み込まれた郵便物に、郵政省職員が消印を押し、仕分けをする「走る郵便局」です。赤色の〒マークが目印です。 1980年代に鉄道郵便輸送は廃止となり、郵政省所有だった郵便車オユ10形、スユニ50形などが保存されています。 軌道検測車機関車や気動車に牽かれながら、レールの歪みを測定する車両です。国鉄からJR各社に引き継がれたマヤ34形は2022年現在、JR九州に1両残るだけです。2017年、JR北海道に新形式・マヤ35形が登場しました。 暖房車客車の暖房は、蒸気機関車なら機関車の蒸気をパイプで客車に送って暖めていました。しかし電気機関車は、蒸気を出せません。そこで登場したのが暖房車です。 乗務員が車内のボイラーに石炭をくべて、蒸気を作ります。蒸気発生装置(SG)を搭載した電気機関車の普及で、暖房車は不要となりました。写真は「鉄道用語辞典」より。 以上3種類は、「客車」に分類されていてもお客を乗せない車両です。 客車改造の気動車国鉄キハ08形(旧キハ40形)は、オハ62形客車に運転台とディーゼルエンジンを付けて、気動車に改造した車両です。 余っていた客車を活用して安く気動車を増備するという試みでした。加悦鉄道に譲渡されたキハ08 3は、廃車後「加悦SL広場」に保存されました。 後年にも国鉄50系客車→JR北海道キハ141系・JR西日本キハ33形という気動車化が行われています。 おすすめ商品寝台特急・ブルートレイン
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